北方学とアイヌ文化   煎本 孝

 アイヌの熊祭りは北半球に広く見られる「熊崇拝」(Hallowell 1926)、より正確にいえばクマに対する尊敬、の一環であり、北方研究という視点からは19世紀から20世紀における、フランスの後期旧石器時代の狩猟民と北極のエスキモーとを結びつけようとした試みの産物である周極文化研究(de Laguna 1994;Gjessing 1944)の延長線上に位置づけられるものである。
 熊祭りはイオマンテ(物送り)というアイヌの名称に端的に表現されるように、「山の神であるクマを送ること」である。旧記においては、「熊送祭」(秦檍丸 1798)、「熊送り」(大内餘庵 1861)と字義通りに記されている場合もあるが、多くは、胆嚢を取るため(松宮観山 1710)、神霊に供える、あるいは氏神の生贄に備えるため(最上徳内 1790)、先祖を祭るため(平秩東作 1784;松前廣長 1781)、クマを殺し神に祀る事(秦檍丸 1799)など、後の民族学の記述にも見られるような唯物論、供儀、先祖供養などとさまざまに解釈されてきた。バチェラー(Batchelor 1889:108)も当初は熊祭りを「進物する。祝のためのクマを殺す」と解釈していた。彼はアイヌの熊祭りを供犠と考えたのである。しかし、熊祭りは供犠ではなく、クマの霊を他の高位の神々や至高神に供することなく、クマ自身の世界に送り返すという送還儀礼なのである。送還儀礼は牧畜民に広く見られる供犠(Irimoto 2004;2007)とは世界観として異なる概念に基づいているのである。後にバチェラーはクマ祭りはクマの霊を彼らの祖先のところへ送り、さらにクマの美徳と力を得るために肉を食べ血を飲むものと考えを変えている(Batchelor 1932:38)。したがって、1920‐50年代を中心とする近年の民族学および言語学の調査において、イオマンテをクマの霊を送る儀式であるとしていること(伊福部 1969;犬飼・名取 1939;金田一 1929;久保寺 1956;佐藤 1961)は適切な位置づけであろう。また、渡辺(Watanabe 1994)も、アイヌの熊祭りを霊の送り儀礼であるとし、これが北方狩猟採集民に広く見られる儀礼であることを提示するに至っている。
 これら一連の研究を踏まえて、煎本(1987;1988a;1988b;Irimoto 1994;1996a)は周極文化の集中的かつ広範囲な比較研究(Irimoto and Yamada 1994;2004;Yamada and Irimoto 1997)、および沙流川流域アイヌ文化人類学的情報資料に関するデータベース(Irimoto 1992)に基づいて、アイヌの熊祭りは狩猟の行動戦略の一環であると分析した。すなわち、「クマの霊を送る」という現象レベルでの説明の背後にある、人間と自然との間の初原的同一性と互恵性(煎本 1983;1996b)という、より普遍的な思考に基づく行動という人類学的視点からの熊祭りの意義が明らかにされたのである。
 さらに、アイヌの熊祭りの起源に関して、飼育されたクマの熊祭りが子グマの飼育を可能にするアイヌの定住性と余剰食料の存在を条件とすること(渡辺 1964:213;大林、パプロート 1964:233)、熊祭りの発展がアイヌの社会的側面と関連すること(渡辺 1964:212)が指摘された。さらに、渡辺(1972)は熊祭りを中心とした文化要素の複合体をクマ祭文化複合体とし、民族学歴史学、考古学の合流点であることを提示し、考古学分野(宇田川 1989;2004)からの熊祭りの研究も進められているところである。なお、渡辺(1974:81)は考古学的資料に基づいて、アイヌ文化の核心をなす熊祭りの信仰儀礼体系の源流は北方文化に根ざし、最も直接的にはオホーツク文化の流れを汲むものではないかと推論しており、アイヌの熊祭りがアムール河流域から沿海州にかけての北方森林狩猟漁撈民における飼育されたクマの熊祭りから波及した(大林 1973:77)との民族学的視点からの推測と軌を一にしている。
 もっとも、現在までに熊祭りの起源を論ずるに足るほどの十分に整理された民族学的資料が提示されていたわけではない。アイヌの熊祭りに地域差があるということはしばしば言われてきたところであるが、その全体的、体系的分析は行われてはいなかった。そもそも、熊祭りに関する個々の記述はあっても、それらを比較、分析し、統合するという人類学的研究はいまだなかったのである。
 熊祭りは山の神であるクマの霊の送り儀礼である。しかし、それが熊祭りのすべてではない。子グマの霊を送ることと平行しながら、遊戯や饗宴をも含めたさまざまな活動が展開され、祭りとしての特別な場が作り上げられ、そこに別の意味を持たせるに至っている。したがって、熊祭りそのものをアイヌの世界を演出する象徴的活動であると捉え、この定義に基づいて、煎本は第1にアイヌの熊祭りの形式と内容を沙流地域を標準として活動の時系列という視点から整理、提示した。第2にアイヌの熊祭りの地域的差異、および時間的(歴史的)変異を比較、分析し、その全体像を提示した。そして、第3に熊祭りの意味を人類学的視点から明らかにした。これらに基づき、第4に熊祭りの動態を解明し、さらに第5に現代における熊祭りの復興をフィールドワークに基づき記載、分析した。そして最後に、熊祭りとは何かということを総括し、熊祭りから人間の心の起源の探究へという将来の研究への展望を提示した(Irimoto 2008;煎本 2010a)。
 その結果、時間的、空間的変異を示しながら生成、発展、変化してきた熊祭りは、一貫して動物(神々)と人間との間、さらには人間と人間との間の初原的同一性と互恵性という思考に支えられた動態系であることが明らかとなった。初原的同一性と互恵性とは具体的にはクマである神の訪問、贈り物の交換、そして神の送りとして演出され、人々は祭りの場において感覚的に体現するものである。これは文化特異的なアイヌの熊祭りを越え、おそらくは狩猟採集民、とりわけ北方周極地域の狩猟採集民に普遍的な心のはたらき(煎本 2010b)であり、人間の心の起源にまで遡り得るものであろう。
文献
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Yamada,T. and T. Irimoto(eds.)
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