北方学と人類進化   煎本 孝

1.はじめに
 人類の誕生が700万年前とすると、西アジアで農耕が開始されたのが1万年前、牧畜の開始も1万年前から5000年前であるから、人類の歴史の99.9パーセントは狩猟採集社会であったことになる(cf. Lee & De Vore 1968)。さらに、その多くの部分は採集、あるいは腐肉あさりを含んだかもしれないが、原人(ホモ・エレクトス)、旧人ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス、古代型新人)ではすでに狩猟が可能であり、二十万年前には現生人類の直系の祖先である新人(ホモ・サピエンス・サピエンス、現代型新人)がアフリカで出現し(リーキー 1996)、その後おそくとも最後の氷河期であるヴュルム氷期にあたる後期旧石器時代には北方適応と大型動物の狩猟活動系が確立していたものと考えられる(煎本 1996:117-118)。したがって、人類の進化を知るためには、過去の人類と生計型の共通性を持つ現在の狩猟採集民の活動系を知る必要があることになる。もちろん、現在の狩猟採集民は過去の進化的残存形態ではなく、現在に至る歴史的、生態的適応形態である。これらの条件を踏まえながら、生態的関係を比較し、人類進化の過程の分析と考察を行うことは人類学的に重要であり、可能なことでもある(煎本 2007:6-7)。
 人類の北方ユーラシアへの進出は、大陸氷床の発達しなかった北東シベリアでは、マンモスなどの大型哺乳類が生息していた更新世後期ヴュルム氷期のカルギンスキー亜間氷期(2万5000年―4万年前)になされ、二万年前のサルタン氷期に向かって気候の寒冷化が起こると植生は耐乾燥タイプから半砂漠タイプへと変化し、南下する大型哺乳類を追って、人類も南下あるいは東進し、一部海で途切れていたベーリング海を渡ってアラスカに入った(福田 1995:88)とされる。これにともない、シベリアにおける後期旧石器文化の変遷も、カルギンスキー亜間氷期において、ルヴァロワ技法から石刃技法の出現がみられ、サルタン氷期に入ると石刃の小型化と木葉形尖頭器の普及、細石刃の出現と植刃器の発達がみられ、寒冷気候への適応と北極地域への進出がなされる(木村 1997:51)ことになるのである。
 従来、この北方適応をサピエンス化の要因として論じる試みも幾多なされてきた(Watanabe 1972:271-285)のであるが、現在、現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)の起源がアフリカにあるという前提条件をとるならば、北方環境がただちに人類進化の要因であったとはいえないかもしれない。現生人類の出現は寒帯、熱帯への適応に共通する、より一般的要因に求められるべきであり、むしろ現生人類の出現は北方への前適応であると考えるべきであろう。そして、その潜在能力がいかに北方の生活に対応し、北方周極文化を形成したのか、という新たな問題設定が必要になるのである。
2.心の進化
 北方適応を考える場合に、環境に対する技術的側面のみではなく、社会的側面、さらにはそれを可能とする人類の心の進化を明らかにすることが重要である。人類の認識する社会には、人間社会と自然の人格化による超自然的社会との二つがある。さらに、心の社会性の基盤となっている互恵性の認識の背景には北方アサパスカンに見られるような初原的同一性の概念がある(煎本 1983;1996;2007:7; Irimoto 1994)。二元性と同一性を統合するこの論理により、人間は動物を殺し、肉を食べるが、同時に動物の超自然的本質である人格との間で互恵性という概念を用いて、食料としての肉を贈与として受け取り、これに対して返礼を行うという狩猟の世界観を成立させることができるのである。
3.狩猟文化の展開
 北方アサパスカン・インディアンで明らかにされたトナカイ狩猟活動系は北方狩猟民における人間と自然との関係の戦略的モデルの1つである。この考えに基づくと、人類が大型動物の狩人となったとき、狩猟活動系とそれを理念的に操作するさまざまなタブーや神話や儀礼が成立したのではないかと考えられる。3万4000年前から1万2000年前のユーラシア後期旧石器時代の洞窟壁画は狩猟文化の芸術的展開を示すだけではなく、動物と人間との間の互恵性の起源の神話が創造され、語られたのではないかということを考えさせられる証拠となる。さらに、アルタミラやラスコーの洞窟壁画に加え、南フランス、ピレネー山脈のレ・トロワ・フレール洞窟には、動物たちを率いている角のある頭と、しっぽと人間の足を持った混成動物、さらに、旧石器研究の長老であるブルイユ神父が魔術師と解釈した角の生えた面をつけ、フクロウに似た目と、ウマの尾、オオカミの耳、クマの前足、そしてヒトの足と性器のようなものを持った「動物の神」のような絵が画かれている(プリドー 1977:128-131)。これらが動物の神なのか、シャマンなのかは不明である。しかし、これらの混成動物が人間と動物との両者の特徴を備えていることから、それらは少なくとも動物と人間との初原的同一性の概念の表現となっていることだけは確かである。そして、初原的同一性の認識があるということは、動物を人格化しているということであり、そこには狩猟を通した人間と動物との間の互恵性の認識が確立していた可能性があると考えられるのである(煎本 1996:117-118; 2007:17)。
 ここで重要なことは、人類が人間と動物とを範疇化し、人間と動物との関係はいかなるものかを認識したことであろう。範疇化は言語により、いっそう可能となる。彼らが言語を十分に使用していたことは、化石人骨の頭蓋底の形態的比較からも支持されるのである。また、ここで注意すべきことは初原的同一性とは本来同一のものを異なるものとして範疇化し、そこに生じる矛盾を解決しようとする論理であり、もともと異なったものを統合させるという心理学のモジュール・モデルに基づく心の認知的流動性という解釈(ミズン、1998:211-220)とは正反対の進化的過程である。
4.人類の将来
 ホモ・サピエンス・サピエンスは言語を活用し、認識し、それにより文化を発展させ、地球上への適応放散をはたしてきたということがいえよう。初原的同一性の概念は自然との間の神秘的な関係を人類にもたらし、豊かな世界観を確立させたのである。しかし、別の視点からみれば、自己を正当化し、虚構の論理的世界を構築し、このことが人類を他の生物にとって、もっともやっかいな存在にしたということもいえる。地球上に拡散した人類は文明を作り、環境を破壊し、さらに正義であるとの正当化のもとに同じ人類を殺戮することを行い、その結果、人類は人類自身にとってさえ、もっとも危険な存在になったということができるのである。現代の地球環境問題も紛争もこの延長線上にある。
 人類の将来についての最悪のシナリオは、人類は他の生物をも道づれにして滅亡するというものであろう。悲観的な見方かもしれないが、もっとも可能性が高いと思われる。それにもかかわらず、もし最良のシナリオをあげるのであれば、人類はもう一度自己と世界の根源的真理を知り、心の自己制御に成功するということであろう。心は人類進化においてそうであったように、適応可能なのである。
文献
福田正己
 1995 「シベリアとアラスカの自然」『モンゴロイドの地球4 極北の旅人』(米倉伸之 編)東京、東京大学出版会、47-90頁。
Lee, R. and De Vore (eds.)
 1968 Man the hunter. Chicago: Aldine.
煎本孝
 1983 『カナダ・インディアンの世界から』東京、福音館書店
 1996 『文化の自然誌』東京、東京大学出版会
 2007 「人類学的アプローチによる心の社会性」『集団生活の論理と実践―互恵性を巡る心理学および人類学的検討』(煎本孝、高橋伸幸、山岸俊男 編著)札幌、北海道大学出版会、3-33頁。
Irimoto, T.
 1994 Religion, ecology, and behavioral strategy: a comparison of Ainu and northern Athapaskan. In: Irimoto, T. and T. Yamada (eds.), Circumpolar religion and ecology. pp. 317-340. Tokyo: University of Tokyo Press.
木村英明
 1997 『シベリアの旧石器文化』札幌、北海道大学図書刊行会。
ミズン、スティーヴン(Mithen, S.)
 1998 『心の先史時代』(松浦俊介、牧野美佐緒 訳)東京、青士社(orig. 1996 The prehistory of the mind. London: Thames and Hudson)
プリドー、トム(Prideaux, T.)
 1977 『クロマニヨン人』(早弓惇 訳)東京、タイムライフブックス(orig. 1973 Cro-Magnon man. New York: Time-Life Books)
Watanabe, H.
 1972 Periglacial ecology and the emergence of Homo sapiens. In: Bordes, F. (ed.), The origin of Homo sapiens. Proceedings of the Paris symposium, 2-5 September 1969, organized by Unesco in co-operation with the International Union for Quaternary Research (INQUA). pp. 271-285. Paris: Unesco.
リーキー、リチャード(Leakey, R.)
 1996 『ヒトはいつから人間になったか』(サイエンスマスターズ3)(馬場悠男 訳)(orig. 1994 The origin of humankind. New York: Basic Books)
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