北方周極地域の民族性と帰属性   煎本 孝

 周極地域における人々の帰属性(アイデンティティ)の特徴は、狩猟や牧畜という生計活動を通した自然と人間との関係に重点が置かれていることである。アニミズムとシャマニズムを基本とする世界観の中で、人々は人間と動物との間の初原的同一性を認め、人格化された動物との間に霊的きずなを形成する。神々である動物と人間との互酬的関係、および宇宙的循環の観念に支えられ、人々は人間は自然の一部であるという帰属性を持つ。人々は自然に感謝し、現実的にも、また認識の上でも自然と共生しているのである。
 現在の北方地域における開発や環境に関連するさまざまな問題に対処するため、彼らは科学の助けをかりながら、自分たちの伝統的な世界観を民族性(エスニシティ)の象徴として用い、帰属性のよりどころとしている。伝統的世界観はサハ(ヤクート)に見られるように「自然との共生」という哲学であったり、また北アメリカのファースト・ネーションズに見られるように、「森」という観念や、より具体的な「森の食物」が民族性と帰属性の象徴として用いられる。さらに、サーミに見られるように、自然とその中での生活への自己の帰属性を、それが失われるに至った歴史的出来事への抗議と共に、外側の大規模社会の「文学」の形式を取り入れながら、彼ら独自の芸術の中で表現しているのである。
 次に北方周極地域における多くの社会、とりわけ狩猟社会においては平等主義の傾向が強く、個人は社会内部においても、また外部に対しても支配と従属の関係を拒否する傾向にある。このことは、集団の統合力が弱いという反面、外側の異なる社会の存在に寛容であるという特徴を持つ。現実的にも、多様性を認めなければ、少数者である自己の集団が消滅してしまうことになるのである。自分たちは自然の一部であり、同時に多様な社会の一部であるという帰属性を持つ。ここでは、自然と人間との間の共生の観念が、他の人間社会との関係の認識にも投影されているのである。
 興味深いのは、集団の規模が大きくなっても、たとえばサハ共和国のように自然と人間との関係の哲学を、民族性の象徴に用いていることである。同じように牧畜を生計活動の中心にしていても、ブリヤートやモンゴルは民族性の象徴として、それぞれ神話的な叙事詩の英雄ゲーセルや実在した歴史的英雄であるチンギス・ハーンを用いている。おそらく、モンゴルは過去に帝国を樹立したという歴史があり、ブリヤートは同じモンゴル民族でありながら独立の歴史はなく、ロシア連邦の中の共和国ではあるが過去も現在もロシアの強い支配下にあり、また、サハも共和国ではあるが、厳しい北方の環境の中で牛、馬を放牧し、狩猟や漁撈を通してより自然に依存した生活をしており、これらの間に自然に対する考え方や世界観の違いがあっても不思議ではないのである。
 一般的に、社会の規模が家族から国家へと大きくなるにしたがい、集団の統合力は自然的なものから文化的なものへ、そして集団の構成原理は平等主義からヒエラルキーなものへと変化し、民族性の標章も自然から英雄−ときには実在の人間の英雄であり、またときには神話的な人物であるが−へと転換する。このような一般的傾向の中にあって、サハはシベリアの森林の中で牛の牧畜を生計活動にした共和国を形成しているという特異な生態とともに、民族性の象徴として英雄ではなく、「自然との共生」という自然と人間との関係の哲学を用いていることが特徴的である。
 もっとも、集団と文化の変化の過程において、周極地域における多くの少数民族は危機に瀕した時期にある。同時に、政治的、経済的に急激に変化する植民後、ソビエト後の状況のもとに、かつては強大であった国家の枠組みの崩壊に伴い、そこで支配されてきた「民族」は自分たちの帰属性を回復しようと、新たな文化復興運動を起こしているのである。文化の復興はかつて禁止され迫害を受けていた宗教−とりわけシベリアにおける北方のシャマニズム、あるいはモンゴルにおけるチベット・モンゴル仏教−と結びつき、それは国家の政治とも深くかかわるに至っている。これは文化と政治的権利を取り戻そうとする運動である。それによって自分たちの集団を再統合し、国家としての新たな政治的地位を獲得しようとするものである。
 国家内部で文化の復興にかかわる少数者は、文化が急激に変化してから三世代目くらいにあたる人々である。一世代目は新しい環境にありながらもそれまでの伝統文化、あるいは言語の使用を継続する。二世代目は二文化・二言語併用になり、ときには強制的に、またときには自らの判断にしたがって、第三世代への伝統文化の継承を停止する。自分たちの子供が新たな環境に適応できるように、あえて古い文化を伝えないということを選択するのである。その結果、伝統的な文化・言語を断片的にしか、あるいは全く知らない第三世代が生じることになる。このような状況の中で、ある人々は自分とは何かという問いに目覚め、帰属性のよりどころを失われた民族性に求める。自分たちの文化を再評価し、今度はそれを次世代へ伝えていこうと文化復興運動が起こる。ここでは、国家内部における自分たちの地位に関する社会的、経済的要求が出され、政治運動を経て、紛争解決がはかられることになる。
 復興された文化は、もちろん実際にあった過去の伝統文化そのものではない。それらの中から肯定的な要素を選び、否定的要素を排除し、再構成することにより新たな「伝統」文化を創造するのである。ときに、それは観光に用いられ、また政治的要求のための「語り」として用いられる。もちろん、厳密な意味でいえば、ここで創られる「伝統」の表象は、救世主運動や千年王国運動における理想郷と同じく虚構である。もっとも、千年王国運動が、現実から完全に遊離するのとは対照的に、「伝統」の創造は現実の世界の中で機能し、人々が自分が何者であるかを確認することにより、現実の世界の中で他者との関係を持つことを可能としている。さらには、そこから、彼らの哲学に基づいた新たな社会関係の構築を行おうとすることができるのである。これは、融合という観点からいえば、異なる2つの体系が出合うことにより、新たに第3の体系が形成される過程として解釈することができよう。
文献
Hamayon, R.
 2004 Construction of a National Emblem, Decomposition of Identities and “Heroic” Millenarianism in Post-Soviet Buryatia. A Reappraisal. In Irimoto, T. and T. Yamada (eds.), Circumpolar Ethnicity and Identity. Senri Ethnological Studies No.66. Osaka: National Museum of Ethnology.
煎本 孝
 1996 『文化の自然誌』東京:東京大学出版会
煎本 孝
 2002 『文庫 カナダ・インディアンの世界から』東京:福音館書店
煎本 孝(編)
 2002 『東北アジアの文化動態』札幌:北海道大学図書刊行会。
Irimoto, T.
 2004 The Eternal Cycle. Senri Ethnological Reports No.48. Osaka: National Museum of Ethnology.
Irimoto, T. and T. Yamada (eds.)
 1994 Circumpolar Religion and Ecology. Tokyo: University of Tokyo Press.
Irimoto, T. and T. Yamada (eds.)
 2004 Circumpolar Ethnicity and Identity. Senri Ethnological Studies No.66. Osaka: National Museum of Ethnology.
 山田 孝子
 1994 『アイヌの世界観』東京:講談社
Yamada, T.
  1999 An Anthropology of Animism and Shamanism. Budapest: Akadémia: Kiadó.
Yamada, T.
 2001 The World View of the Ainu. London, New York, Bahrain: Kegan Paul.
Yamada, T.
 2004 Symbiosis with Nature: A Message for the Reconstructing of Sakha Ethnicity and Identity. In Irimoto, T. and T. Yamada (eds.), Circumpolar Ethnicity and Identity. Senri Ethnological Studies No.66. Osaka: National Museum of Ethnology.
Yamada, T. and T. Irimoto (eds.)
 1997 Circumpolar Animism and Shamanism. Sapporo: Hokkaido University Press.
▲ページトップ



INDEX北方学会報>北方周極地域の民族性と帰属性

copyright © 2012 Takashi Irimoto